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日記 2017-03-14

国立大学の受験が終わった。つまり何週間もバイトの予定が立っていない。去年の今頃は小学生に分数と漢字を教えていて、もう一度大学二年生をやっていくということにふんわりと胸を潰していた、と思う。もしかしたらもっとアッパラパーだったかもしれない。クラスのLINEで留年通知の画像に「確変突入」と申し添えた。留年を確認した直後に吸ったタバコが美味しかった。トタン屋根のベランダではそのときチューリップが咲いていたし、春の陽気がしていた。進級できるというのに去年の今頃よりもずっと胸が塞ぐ。単なる栄養失調かもしれない。


何週間か前まではツタヤでアニメや映画を借りて、観たり観なかったりして返していたが、なんだか気が重くて一時的にやめてみている。すると時間を使うあてがなくなるので、思いついたように寝て起きて、思いついたように絵を描いて、喫煙席のあるカフェに閉店間際に行ってみたり、25時まで営業しているゲームセンターで液晶を叩いてみたりしている。何日も。


謎の気おくれが発生しないように、まれに文具を買ってみたり本を読んでみたりする。消費だけをし続けることへの気後れが強い。もし絵を描けなかったら小説でも書いていたかもしれない。カフェインとニコチンに助けられている。多動性障害の投薬は薬が高いのでやめてしまった(こっそり悪いことを言うとエフェドリンと抗ヒスタミン薬で代用できている。私の場合)。


やりくりが厳しい。仕送りを減らされる話は母の一意でなかったことになった。母の連絡への返答を先延ばしにしはじめると軽く何週間も経ってしまう。そうなると余計返答が億劫になる。(これは流石に母の方でも何も考えていないのだと思いたいが)無題の猫の画像が送信されてくるので、それを開封するついでに短い返信をすることが多い。メッセージまでもが開封通知を送るようになって生きにくい。というところまでが、昨日の16時に起きてそのまま寝ずにいたことへの前置き。


国立新美術館ミュシャ草間彌生を観に行きたくなったので恋人を誘った。閉館日だった。笑った。森ビルまで歩いた。それこそ2,3歳の時から遊んでいたような公園で焼死体が見つかったという朝のニュースに絡めて、自分の爺さんが浜で焼死体を見つけたときの話をして笑いながら歩いた。六本木のミドルを怖がらせてしまった。


森美術館のハルシャ展、とてもよかった。まず地上53階というだけでバカには楽しくてたまらない。東京タワーが眼下にギラギラしている。ポータルに出てきそうな爆速のエレベーターが案内してくれた。爆速で移動をするのは楽しい。あまり高いところにいると室内/室外の景色の取り合わせが雑コラ然としてきて、脳が混乱しはじめる。


ハルシャの絵は(少なくとも展覧会のPRからは)ファンシーでカワイイー、という面が推されているように見えたが、実際には内側と外側、人々とネイション、「インド」と「イギリス」、顕微鏡と望遠鏡、畑と工場、牛と宇宙飛行士……、存在するものと存在しないものとを丁寧に見分けながら、個々の知識と個々の世界とを折り重ねて画面に同居させていくという通底したアイデアが少しずつ見えた気がした。


ハルシャの幼少期のスケッチだという、カラーペンで塗られたスーパーマンを見た。デーヴァナーガリー、英語、タミル文字のいずれかでまちまちに題された絵を見た。ノートの走り書きは英語が多い。『笛を吹く浅黒いターバンの蛇使い』にあえて仮託された『インド』。国土も人種も言語も宗教もわかりやすく『祖国』を説明してくれないし、『わたし』を与えてくれない。画面の隅で自爆スイッチを押す女性。


恋人に手作りクッキーをもらった。おいしい。ホワイトチョコ入りらしい。そのうちワンルームで一緒にケーキを焼きたい。


家族についてここ数ヶ月間モニョっているので少し書いてみた、というのが以下。


大学に進んでから母は私への態度をいくらかシフトしたように思う。向こうも向こうで私に対し同じことを思っているのかもしれないが、私の方では別に何も考えちゃいないので、心苦しい。ぼちぼち私が家族を作り始めることを見越しているのかもしれない。というか、母と父が出会った歳を追い抜いてしまっている。たぶん。クソ野郎なので、母が妊娠中に着ていたEDWINのオーバーオールを単に見た目がカッコいいという理由で譲り受けて東京で着てしまっている。LINEスタンプくらいの気軽さで「私は何も考えていません」を示せたらいいのにな、と思う。ペンギンの画像を送ってみた。


父は私への仕送り額を減らすことを強く主張してみたり、実際メッセージに応じなかったことで私への仕送りを止めてみたり、帰省した私におかえりを言ってみたりしている。気まぐれに産んだ子供を気まぐれに蹴ってみる人間と、単に放任主義なだけの愉快なオタクとの、間のどこかにいる人間だということは解る。これ以上父に対する解像度を上げてみようという気持ちが起きないままになっている。たぶん15年くらい。


少し帰省するかもしれない。